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東京地方裁判所 平成元年(ワ)2744号 判決

甲事件原告・乙事件被告(以下「原告太郎」) 甲野太郎

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 秋山昭八

同 菊地幸夫

同 三枝久

甲事件被告・乙事件原告(以下「被告春夫」) 乙山春夫

乙事件原告(以下「原告春子」) 乙山春子

右両名訴訟代理人弁護士 髙橋敏男

甲事件被告(以下「被告大田区」) 大田区

右代表者区長 西野善雄

右指定代理人 山口憲行

〈ほか二名〉

主文

一  甲事件原告らの請求をいずれも棄却する。

二  乙事件原告らの請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、甲乙両事件を通じ、甲事件被告大田区に生じた分は甲事件原告ら(乙事件被告ら)の負担とし、その余は各自の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告太郎及び同花子

1  被告春夫及び同大田区は、各自、原告らそれぞれに対し、金二五〇万円及びこれに対する被告春夫については昭和六三年一一月一日から、被告大田区については同年一〇月三〇日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告春夫及び原告春子の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、両事件を通じ、被告春夫、同大田区及び原告春子の負担とする。

4  仮執行宣言

二  被告大田区

1  原告太郎及び同花子の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、右原告らの負担とする。

三  被告春夫及び原告春子(但し、1は、被告春夫のみ)

1  原告太郎及び同花子の被告春夫に対する請求を棄却する。

2  原告太郎及び同花子は、各自、被告春夫及び原告春子それぞれに対し、金三〇〇万円及びこれに対する平成元年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、両事件を通じ、原告太郎及び同花子の負担とする。

4  仮執行宣言

第二当事者の主張

一  甲事件の請求原因

1  原告らの地位

原告太郎は、昭和六三年以前から、その所有する別紙物件目録一記載の土地(原告土地)上に同目録二記載の建物(原告建物)を所有し、妻である原告花子及び子とともに右建物に居住している。

2  本件建物の建築

被告春夫は、昭和六三年二月ころ、株式会社マドカホームから、その所有する別紙物件目録三記載の土地(本件土地)を買い受け、同年末ころ、右土地上に同目録四記載の建物(本件建物)を建築した。

原告建物と本件建物は、いずれも第一種住居専用地域(建ぺい率五〇パーセント以内、容積率一〇〇パーセント以内)、準防火地域、第一種高度地区の指定地域内に存在し、その位置関係は別紙図面一記載のとおりである。

3  本件建物による日照被害

右原告らは、本件建物建築前には十分な日照を享受していたものであるが、本件建物建築により、次のとおり日照を著しく阻害されており、その被害の程度は受忍限度を超えている。

(一) 日照被害の程度

原告建物は、本件土地が空地であったことから、冬期においても十分な日照を享受してきたが、本件建物建築により、冬期における一階部分の日照をほぼ完全に奪われた。

(二) 建築基準法違反

本件建物は、次のとおり建築基準法に違反しており、被告春夫は、同法六条に定める建築確認を受けることなく、右建物を建築した。

(1) 同法四三条違反

同法四三条によると、建築物の敷地は、同法四二条の定める道路に二メートル以上接しなければならないとされているにもかかわらず、本件土地は道路に接していない。

(2) 同法五六条の二違反

同法五六条の二によると、第一種住居専用地域内にある三階以上の建築物は、同条に定める日影による高さの制限を受けるところ、本件建物は三階建てであるから、右制限を受けるにもかかわらず、これに違反している。

(3) 同法五二条・五三条違反

本件建物は、同法五二条の定める容積率、同法五三条の定める建ぺい率にも違反している。

4  被告春夫の責任(民法七〇九条)

被告春夫は、原告らの日照を阻害しないよう注意すべき義務があるにもかかわらず、右義務を怠って本件建物を建築し、よって原告らの日照を害した。

5  被告大田区の責任(国家賠償法一条一項)

特定行政庁である被告大田区区長には、被告春夫に対し、建築基準法九条一項に基づき、本件建物の建築工事の施工停止等の是正措置を命ずるべき義務があるにもかかわらず、同区長は右義務を怠り、同法に違反する被告春夫の建築工事を放置し、よって原告らの日照を害した。

6  損害

(一) 精神的損害

原告らは、本件建物による日照阻害のため、精神的苦痛を被ったところ、これを慰謝するには各二五〇万円をもって相当というべきである。

(二) 原告土地建物の価値減少

原告太郎は、本件建物建築によって、原告土地建物の価額が二〇〇〇万円下落したため、同額の損害を被った。

7  よって、原告太郎は、被告ら各自に対し、損害金二二五〇万円の内金二五〇万円及びこれに対するいずれも不法行為の後である被告春夫については昭和六三年一一月一日から、被告大田区については同年一〇月三〇日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告花子は、被告ら各自に対し、損害金二五〇万円及びこれに対するいずれも不法行為の後である被告春夫については同年一一月一日から、被告大田区については同年一〇月三〇日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  甲事件の請求原因に対する認否(特記しない限り被告ら共通)

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3(一)の主張は争う。

3  同3(二)(1)の事実は認める。

4  同3(二)(2)の事実は否認する。

(被告春夫)

本件建物は二階建てであるから、建築基準法五六条の二の適用を受けない。仮に、右規定が適用されるとしても、本件建物は、右規定の定める制限に合致している。

(被告大田区)

右規定の定める制限に合致している。

5  同3(二)(3)の事実は否認する。

6  (被告春夫)

同4の主張は争う。

7  (被告大田区)

同5の主張は争う。

特定行政庁が建築基準法九条に定める是正命令を発するか否かは、当該行政庁の判断に委ねられているのであるから、右権限を行使しなかったからといって直ちに違法となるわけではない。

8  同6(一)及び(二)の事実は否認する。

三  乙事件の請求原因

1  地位

原告春子は、被告春夫の妻である。

2  建築工事仮処分申請

原告太郎は、昭和六三年八月一九日、被告春夫に対し、本件建物の建築工事禁止を求める仮処分(東京地方裁判所昭和六三年(ヨ)第四九〇六号)を申請したが、同年一〇月六日、これを取り下げた。

3  甲事件の訴え提起

原告太郎及び同花子は、昭和六三年一〇月二〇日、被告春夫を被告として、東京地方裁判所に対し、甲事件を提起した。

4  原告太郎及び同花子の責任(民法七〇九条)

原告太郎は、被保全権利又は保全の必要性がないことを知りながら、本件建物の建築工事を妨害する目的で建築工事禁止の仮処分を申請し、さらに原告太郎及び同花子は、理由のない訴訟であることを知りながら、甲事件を提起した。

5  損害

(一) 精神的損害

被告春夫及び原告春子は、原告太郎及び同花子の不当な仮処分申請及び訴え提起によって精神的苦痛を被ったところ、これを慰謝するには、各二五〇万円をもって相当というべきである。

(二) 弁護士費用

被告春夫及び原告春子は、その訴訟代理人に対し、前記仮処分申請事件及び甲事件についての訴訟追行を委任したところ、被告春夫及び原告春子が原告太郎及び同花子に対して賠償を求めうる弁護士費用は各五〇万円とするのが相当である。

6  よって、被告春夫及び原告春子はそれぞれ、原告太郎及び同花子各自に対し、損害金三〇〇万円及びこれに対する不法行為の後である平成元年三月一一日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  乙事件の請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし3の事実は認める。

2  同4の主張は争う。

3  同5(一)及び(二)の事実は否認する。

第三証拠《省略》

理由

第一甲事件について

一  請求原因一1及び2の各事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件建物建築によって原告太郎及び同花子に社会生活上受忍すべき限度を超えた日照被害が生じたかどうかについて判断する。

1  日照阻害の程度

前記一の事実に、《証拠省略》を併せ考えると、次の事実が認められる。

(一) 本件土地は、面積七七・九九平方メートルのやや縦(北東から南西)長の土地であり、原告土地は、本件土地の北東に位置し、本件土地よりも約三センチメートル低い、面積七四・二三平方メートルのほぼ正方形の土地である。

(二) 本件建物は、小屋裏部分を利用した物置を有する木造スレート葺二階建てで、建築面積三七・五八六一平方メートル(建ぺい率約四八・一九パーセント)、延べ面積七二・三一九五平方メートル(容積率約九二・七三パーセント)、高さ七・七九二メートル、軒の高さ五・三四〇メートルであって、別紙図面一に示すように原告土地との境界線から〇・九九二メートル置いて建てられた縦六・〇六七メートル、横六・八二五メートルのほぼ正方形の建物である。

一方、原告建物は、別紙図面一に示すように本件土地との境界線から〇・八五メートル、原告土地と北東側で接する家合利雄所有地(家合所有地)との境界線から一・〇二メートル置いて建てられた木造スレート葺二階建て建物である。

なお、原告建物一階南西側には、六畳の和室と台所があるが、右和室には南西側と東側に、台所には南西側と西側にそれぞれ開口部が存在している。

(三) 冬至時点において平均地盤面から一・五メートルの高さで測定した本件建物による日影状況は、別紙図面二のとおりであって、午前九時ころには原告建物南西角に本件建物による日影が生じ始め、殊に、右高さにおける本件建物の南西側開口部では、午前一一時半までにはほぼ全面的に日照が妨げられるに至るが、原告土地全体との関係でみると、午前八時から午後四時までの間に四時間以上の日影を生じる部分は、敷地境界線からの水平距離が五メートル以内の範囲に、また、二・五時間以上の日影を生じる部分は一〇メートル以内の範囲に限られている。また、本件建物による日影は、原告建物二階部分には殆んど生じることがない。

2  本件建物の建築基準法への適合性

(一) 建築基準法五六条の二への適合性

建築基準法五六条の二は、第一種住居専用地域内で、地方公共団体の条例で指定する区域内にある軒の高さが七メートルを超える建築物又は地階を除く階数が三以上の建築物は、冬至日の真太陽時による午前八時から午後四時までの間において、平均地盤面から一・五メートルの高さの水平面に、敷地境界線からの水平距離が五メートルを超え一〇メートルまでの範囲において(1)三時間又は(2)四時間又は(3)五時間以上、一〇メートルを超える範囲において(1)二時間又は(2)二・五時間又は(3)三時間以上日影となる部分を生じさせることのないものとしなければならず、具体的な地域について右(1)ないし(3)のいずれの規制値によるかは地方公共団体が条例で指定するとしており、これを受けて東京都日影による中高層建築物の高さの制限に関する条例三条は、第一種住居専用地域内で容積率一〇〇パーセント、第一種高度地区に定められている区域内の右建築物については、右(2)の規制値(本件日影規制基準)によるものとしている。

そして、《証拠省略》によると、建設省は、昭和三二年六月一日付住指受第四六一号徳島県土木部建築課長宛て例規において、小屋裏を利用して物置としている場合、その構造によっては右物置が階数に算入されることもあるとし、さらに建設省住指発第二四号昭和五五年二月七日付例規において、小屋裏を利用して設けられた物置のうち、(1)小屋裏物置の部分の水平投影面積は、直下の階の床面積の八分の一以上であること、(2)小屋裏物置の天井の最高の高さは、一・四メートル以下であること、(3)物の出し入れのために利用するはしご等は、固定式のものとしないこと、以上を満たすものについては、建築基準法の規定の適用に当たって、階とみなされないこととするとしていることが認められるところ、検証の結果によると、本件建物小屋裏部分に設置された物置に通じる階段は、本件建物二階居室の床及び壁面に固定されていると認められるから、右物置は、建築基準法の適用に当たっては、階とみなされるというべきである。

これら法令の規定と、前記一及び右認定事実によると、本件建物は、建築基準法五六条の二の適用を受け、その日影時間の規制値は本件日影規制基準によることになる。

そこで、本件建物が、本件日影規制基準に適合するか否かをみるに、前記二1(三)で認定したとおり、冬至の午前八時から午後四時までの時間帯において、本件建物が平均地盤面から一・五メートルの地点で四時間以上の日影を生じさせる部分は、敷地境界線からの水平距離が五メートル以内の範囲に、また二・五時間以上の日影を生じる部分は一〇メートル以内の範囲に限られているのであるから、本件建物は本件日影規制基準に適合しているというべきである。

(二) 建築基準法五二条・五三条への適合性

前記一及び前記二1(三)で認定した事実によると、本件建物は、第一種住居専用地域・第一種高度地区に指定され、建ぺい率五〇パーセント以内、容積率一〇〇パーセント以内の指定を受けた地域内に存在するところ、本件建物の建ぺい率は約四八・一九パーセント、容積率は約九二・七三パーセントであることが認められるから、本件建物は建築基準法五二条・五三条に何ら違反していない。

3  本件建物周辺の状況

本件建物が建築基準法四二条に定める道路に接していないことは当事者間に争いがなく、前記一及び右の争いのない事実に、《証拠省略》を併せ考えると、次の事実が認められる。

本件土地は、東急東横線田園調布駅の西方、東京都立大田ろう学校の近隣にあり、右ろう学校の面する公道から約二・六メートル幅の私道(本件私道)を南東に約四〇メートル入った奥に位置している。本件土地周辺は、第一種住居専用地域、第一種高度地区に指定されていて、本件建物と同程度の規模の平家又は二階建ての住宅がかなり密集して建ち並んでいる。

本件私道の北東側には、本件建物を含めて六軒、南西側には五軒の住宅が軒を連ねているが、本件私道が建築基準法四二条に定める道路に該当しないことから、右一一軒のうち、前記公道に面する北西側の二軒を除く九軒の住宅は、いずれも同法四三条に違反しており、本件土地の北東に位置し、本件私道にさえ接していない原告建物もまた、同条に違反した状態にある。

4  被告春夫側の事情

前記一の事実に《証拠省略》を併せ考えると、次の事実が認められる。

(一) 現在、本件建物は、南西側の敷地境界線から二・〇六メートル引いて建てられているところ、仮に右南西側二階部分に設けられている〇・九八メートル幅のベランダを取り除いたうえ、本件建物を南西側寄りに建築したとすると、確かに原告土地との境界線から本件建物までは、現在〇・九九二メートルであるのが、一・九七二メートルに拡張できたと考えられる。しかしながら、そうした場合には、将来本件私道を四メートル幅に拡張し、建築基準法四二条一項五号の定める位置指定を受けることにより、同法四三条違反を是正することが不可能となってしまう。これを避けるには、本件私道の道路中心線から二メートルの間隔を置くことが必要なのであって、そうすると、本件建物を現在の位置よりも南西側に寄せて建築することはできない。

(二) 本件建物は、被告春夫とその家族(妻春子と子供二人)の居住用として建てられたものであり、現に右被告らが住んでいる。なお、本件建物の間取りは、居間兼食堂一室、寝室一室、子供部屋二室である。

5  原告ら側の事情

前記一及び前記二3の事実に、《証拠省略》を併せ考えると、次の事実が認められる。

(一) 原告建物は、本件土地との境界線から僅か〇・八五メートルの間隔しか置かずに、ほぼ原告土地一杯に建築されている。

(二) 原告太郎は、昭和六〇年七月、宮内辰雄から原告土地建物を購入し、そのころ原告花子と子とともに入居した。本件土地は、右購入当時空地であって、建築基準法四二条に定める道路に接していなかったが、本件私道沿いには同様に右道路に接していない前記3の住宅が既に建ち並んでいたし、原告建物自体、右道路に接していなかった。

6  原・被告の交渉経緯

前記一、二1ないし5の事実に、《証拠省略》を併せ考えると、次の事実が認められる。

(一) 原告らは、本件土地が建築基準法四二条の定める道路に接していないことから、本件土地には建物が建築されないものと考えていたところ、本件建物の建築が計画されていることを知り、昭和六三年六月二三日ころ、被告大田区に対し、右計画は建築基準法に違反しているので調査して欲しい旨陳情した。

(二) 被告大田区が調査したところ、昭和六二年九月二二日、本件土地について建築主を酒井進とする建築確認がなされており、右確認に際しては、建築基準法四三条の定める接道義務について、同条一項但書が適用されるものとされていたものの、被告春夫による本件建物に係る建築確認は、されていなかった。

そこで、被告大田区は、同月二五日ころ、原告らに対し、本件土地に建築物を建築すること自体、許されないわけではないこと、原告らの日照阻害については、法的規制があるものの、それ以上は規制できないことを説明し、被告春夫とよく話し合うよう助言した。また、被告大田区は、同月二八日ころ、被告春夫に対し、建築設計図の提示を求めたが、これによると、酒井進による建築確認の申請時の建築物よりもかなり大きな建築物となり、建築基準法四三条但書を適用することは困難であったものの、その他の点については同法に反するところは見当たらなかった。そこで被告大田区は、被告春夫に対し、酒井進の建築確認どおりに建築するよう求めたが、被告春夫が、家族四人で生活するためには、最低限右設計図程度の広さが必要であるとしたため、(1)接道義務を満たす方法を検討すること、(2)本件土地は東京都風致地区条例の適用を受けるので、東京都南部公園管理事務所の指導を受けること、(3)右指導を受けるまでの間、工事を中止すること、(4)原告らと日照問題について話し合うことを指示した。

(三) 被告春夫は、東京都南部公園管理事務所に相談した結果、同年七月四日ころ、同事務所から、原告土地境界線から本件建物までの間隔を、設計図の〇・九メートルから一メートルに広げるよう指示された。そこで、同被告は、再度被告大田区とも相談し、接道義務については、本件私道を将来四メートル幅に拡張し、建築基準法四二条一項五号の位置指定を受けるよう本件私道所有者間で話合いを進めることにした。

(四) 被告春夫は、同年七月二五日、原告らを訪れ、以上の経緯を説明したが、原告らは、最後まで本件土地は接道義務に違反していて建築できないはずであるとの意見を変えず、話合いは物分れに終わった。

(五) 被告春夫が、同年八月五日ころ、中止していた工事を再開したところ、原告らは、同月一九日、東京地方裁判所に対し、建築工事禁止の仮処分(東京地方裁判所昭和六三年(ヨ)第四九〇六号)を申請し、同年一〇月六日、右仮処分申請が取り下げられるまでの間、同裁判所において、数回の審尋が行われた。

なお、この間、原告らから、被告大田区に対し、本件建物のベランダが本件私道の拡張予定部分に飛び出しており、屋根も建築基準法の定める北側斜線制限に違反しているとの申入れがされたが、被告大田区が調査したところ、北側斜線制限には違反していないものの、ベランダについては右飛び出し部分が存在したことから、被告春夫は、被告大田区の指示でこれを是正した。

以上認定した事実によると、本件建物建築による原告建物に対する日影時間は、右建築以前と比較すれば、長くなったということはできるけれども、従前原告建物が享受してきた「十分な日照」は、偶々本件土地が空地であったことによるものにすぎないこと(原告らは、本件土地が建築基準法四三条一項本文の定める接道義務を充たしていないことを強調するが、だからといって適法に建物を建築する途がないとはいえないことは同法四三条一項但書、四二条一項五号に照らして明らかであるばかりか、そもそも、同法四三条は、当該敷地上の建築物についての利用上の安全性等を確保する目的でもうけられた規定であって、近隣の建物についての日照保護等を目的とするものではない。)、本件建物によって原告建物が被る日照阻害は、概ね原告建物一階部分に限られていて、日照の保護を目的とする建築基準法五六条の二の規制を超えるものではないこと、本件土地周辺には、本件建物築造以前既に同程度の規模の住宅が相当程度密集して建ち並んでいたこと、本件建物には、建築基準法に従った建築確認がされていないこと及び同法四三条の定める接道義務違反があることの他には、同法に反するところがないこと(同法四三条が近隣の建物についての日照保護等を目的とするものでないことは前記のとおりである。)、本件建物は、被告春夫らの家族構成からみて最小限の大きさであって、現在の位置以上に南西側に寄せて建築することは不可能であること、他方、原告建物自体、本件土地との境界線から僅か〇・八五メートルの位置に建築されていること、被告春夫は、被告大田区や東京都南部公園管理事務所の指導を受けて、本件建物を当初の予定より若干南西に移し、工事を一時中止するなどしていることが認められるのであって、建築確認を得ることなく建物を建築した点は軽視しえないにしても、右認定の諸般の事情を考慮すると、原告らの日照被害は、未だ被害者において受忍すべき限度を超えたものとはいえないというべきである。

そうすると、原告らの被告春夫に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

三  次に、被告大田区区長が被告春夫に対し、建築基準法九条一項に基づき、本件建物の建築工事施工停止等の是正措置を命じなかったのが違法であるかどうかについて判断する。

1  建築基準法九条一項は、特定行政庁は同法に違反した建築物について、右建築物の建築主に対し、当該工事の施工停止等の是正措置を命ずることができるとしているところ、右命令発付の要否、発付の時期、その内容等は、特定行政庁の専門的判断に基づく合理的裁量に委ねられているということができる。

したがって、特定行政庁が同法に違反する建築物について同条同項の定める命令を発しないことが付近住民等第三者に対する関係で国家賠償法一条一項を適用するうえで違法であるとの評価を受けるのは、当該具体的事情の下において、特定行政庁に右権限が付与された趣旨・目的に照らし、その不行使が著しく不合理と認められるときに限定されるというべきである。

2  そこで、この見地に立って、本件についてみるに、前記二1ないし6で認定した事実関係によると、無確認建築物であること及び接道義務違反があることの点を除いて、本件建物には建築基準法に違反するところはなく、右二点の違反は日照被害の原因となるものでない上、本件建物は同法五六条の二の定める日影制限も遵守していたというのであるから、本件建物建築によって原告らに著しい日照被害が生ずる危険が切迫していたということはできない。また、本件建物が同法四三条の定める接道義務に違反している点については、同条はそもそも日照保護を目的とするものではないうえ、多くの近隣建物だけではなく、原告建物でさえ同条に違反して建築されているのであるから、被告春夫に対してのみ、同条違反を理由に工事の施工停止等の措置を命ずるのは、著しく公平を失するものといわなければならない。以上の諸点に加え、被告春夫は、被告大田区の指示に従い、建築工事を一時中止し、本件建物の位置を若干南西側に寄せる等の措置を講じたこと等の事情をも併せ考えると、被告大田区の区長が被告春夫に対し、同法九条一項に定める是正措置を命じなかったことが、右権限の趣旨・目的に照らして著しく不合理であるとは到底いえず、右権限の不行使が国家賠償法一条一項を適用するうえで違法であるとの評価を受けるものではないことは明らかである。

そうすると、原告らの被告大田区に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

第二乙事件について

一  請求原因三1ないし3の各事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、原告太郎の被告春夫に対する仮処分申請及び原告太郎及び同花子の同被告に対する甲事件の提起が違法であるかどうかについて判断する。

1  仮処分の申請あるいは訴えの提起が、相手方に対する違法な行為といえるのは、右申請者あるいは提訴者が当該仮処分あるいは訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、同人がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて仮処分の申請あるいは訴えの提起をしたなど、仮処分の申請あるいは訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である。

2  そこで、この見地に立って、本件についてみるに、前記第一の二1ないし6の事実に徴すると、原告太郎及び同花子は、本件建物の建築によって、受忍限度を超える日照被害を被るとして建築工事禁止の仮処分の申請及び甲事件の提起に及んだものであるところ、現に本件建物の建築により、原告建物に日照被害が発生したのであるし、同原告らと被告春夫及び被告大田区との交渉経過から、右被害を阻止する方途が訴訟以外には見当たらなかったというのであるから、同原告らが本件建物による日照被害を受忍限度を超えた不法行為に該当するとし、差止請求権や損害賠償請求権が生ずるとの判断に立ったとしても、そのこと自体は不法行為の成否に関する解釈として、事実的、法律的根拠を全く欠く、考慮の余地のない不当なものであるとまではいうことができない。したがって、同原告らが右仮処分や損害賠償を求めうる法的地位になかったことを知っていたということはできないし、未だ通常人であれば容易に知り得たとも断定することができないので、同原告らのした仮処分の申請及び甲事件の提起が裁判制度の趣旨に照らして著しく相当性を欠くものとはいえず、被告春夫及び原告春子に対する違法な行為であるとは到底いえない。

そうすると、被告春夫及び原告春子の原告太郎及び同花子に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

第三結論

以上の次第で、甲事件原告らの甲事件被告らに対する本訴各請求並びに乙事件原告らの乙事件被告らに対する本訴各請求は、いずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 江見弘武 裁判官 貝阿彌誠 福井章代)

〈以下省略〉

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